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閑話休題

2007年04月18日

インフルエンザ タミフル

 インフルエンザと言えば、タミフルですが、、、皆さん、タミフルっていう薬、その消費の大多数が日本で行われているということはご存知でしょうか?欧米では、インフルエンザだからと言って、特別な薬を処方することはありません。もちろん、日本でもほんの数年前まではそうでした。熱は長く続くけど、治るのを待つ病気でした。これはどうしてでしょう。インフルエンザの簡易検査によってインフルエンザの診断が、容易に確実になったことは、大きな要因でしょう。欧米では、このインフルエンザの迅速診断が保険適応でない国がほとんどです。また、タミフル処方に関しても、保険診療範囲内でないからです。
 インフルエンザの迅速診断も、その治療薬も保険診療で認められていて、その恩恵が受けられる日本は、とてもいい国だと思います。しかし、そのためにすでにタミフル耐性インフルエンザウイルスも出現してしまっています。また、インフルエンザと診断された患者さんは、ほとんどタミフルを内服するため、インフルエンザで起こっていることとタミフルで起こっていることの判別も困難になっています。
 元々、インフルエンザは脳に親和性の強いウイルスで、様々な精神的な異常行動を起こすことは、知られていました。ですが、日本の現状では、今起こっていることがタミフルのせいなのか、インフルエンザのせいなのか、わからなくなってしまっています。タミフル自体は、画期的で素晴らしい薬であるのに、その効果の故に多用された結果が、タミフルを否定するような結果になってしまっては、とても残念だと思います。
 もう一つ、インフルエンザに効果のある薬としてリレンザという薬がありますが、「タミフルがだめならリレンザだ」というふうに、リレンザを多用することが起これば、またリレンザもタミフルと同様の結末を辿ることでしょう。なぜならば、インフルエンザに罹って使う薬がタミフルであろうがリレンザであろうが、その事象がインフルエンザで起こっているのなら、同じことが起きる可能性があるからです。そして、また、その時、リレンザが危険性のある薬ということになって、使用制限が行われる可能性があります。
 ですから、これは極めて個人的な感情ですが、もうそろそろ「インフルエンザだ!」「タミフルだ!」「それがだめならリレンザだ!」的な行動パターンを見直しませんか?
 インフルエンザが怖かったら、予防効果は一定ではないし、極めて高いとはいえませんが、とりあえず予防接種しませんか?

 また、もう一つ、日本人の遺伝子というのが、インフルエンザと極めて相性が悪いのでは、と考えられます。乳児に起こるインフルエンザ脳症というのがありますが、この病気日本での発症が圧倒的に多いのです。それはなぜか、解かっていません。しかし、インフルエンザウイルス自体に脳への親和性があると先に書きましたが、この親和性を受け易い遺伝子が、日本人にあるとしか考えられないくらいの発生率の差です。同様の理由で、年長者においても、インフルエンザでの精神症状というのが日本人においておきやすいのではないかと考えられます。
 以上のことから日本人はインフルエンザに対して弱い民族ということが一面的ですが、言えるでしょう。そのような国でタミフルのような非常にインフルエンザに効果のある薬が、微弱な根拠で使用できなくなることは全く不利益と言えるでしょう。
 
 タミフル問題は、タミフルを多用したことによって起こっています。リレンザにしても多用すれば同じことが起こる可能性があります。それは、それぞれその薬によって起こっているのではなく、インフルエンザのせいで起こっている可能性があるからです。

 皆さん、どのように考えられますか?

2008年01月14日

予約と待ち時間

2007年12月のよもやま話より、、

 ケロちゃんも丸々2年を過ぎ、3年目の年の瀬を迎えました。
おかげさまで皆様に愛され、有り難いことと思っています。

 今年は、待ち時間を少なくするために4月に予約制を導入しましたが、なかなかうまく機能せずに
10月から完全予約制に移行するなど新たな取り組みをし、利用者の方々にもいろいろご迷惑をおかけしました。
 ”時間はとても大切なものです”
 待ち時間、、、というのは、ウチを利用してくださる患者さん家族にとって、無駄な時間になるので”待ち時間ゼロ!”というのがウチの理想です。

 予約制を導入したことにより、以前に比べて待ち時間は1/3くらいには短縮していますが、それでも患者さんが集中する時期にはかなりの待ち時間が生じています。これを限りなくゼロに近づけようとすると
予約の段階で”今、電話して、この時間?”的なことが生じます。診療前の朝の時間帯、昼休みの時間帯は、私も電話予約をお受けしていますが、大変申し訳なく思います。

 ですが、診療体制、診療内容ともに、”ケロちゃん”にかかって良かった!と思っていただける病院作りをしたいと私は、思っています。それを目指すためには、どんどんケロちゃんの体制や診療内容も今後、変わっていく可能性があります(すでに、発熱している患者さんに対して、診察前簡易採血のお願いも
12月から開始しています。ほとんどの患者さんの同意が得られ、円滑に進んでいます。ありがとうございます)。

 どうぞ、ご理解のほどお願いいたします。

2008年02月13日

インフルエンザの検査について

インフルエンザが周りで流行していると、発熱したらインフルエンザでは?と気になります。

インフルエンザの検査は、鼻の奥の粘膜を綿棒で擦り取り、そこに付着したウイルスを検査キットを
使用して検査します。

Q 微熱でも検査でインフルエンザと診断できますか?

 通常、インフルエンザの検査で陽性になるタイミングは、明らかな発熱(38.5度以上)があってからでないと難しいです。また、明らかな発熱であっても、半日程度の時間が経ってからでないと、本当は
陽性であっても、検査で陰性となり、インフルエンザと診断されないことがあります。

 ですから、発熱しても慌てずにどの程度の発熱に至るのか、解熱剤で解熱した後も再び同様の
発熱が出現するのか?など、その子の発熱の度合いや、発熱の状況を十分見極めてからの
医院受診、検査がお勧めです。

 インフルエンザの検査は、体に害はありませんが、検査そのものが痛みや苦痛を伴います。
 あまりに勇み足で検査すると、翌日もう一度医療機関を受診したり、再度検査したりしなくてはいけなくなり、保護者や患者さん本人にとっての時間的精神的肉体的負担が、返って大きくなります。

 同様の理由で、夕方や夜間に発熱が始まっても救急機関や病院を、受診するのは避けたほうが
いいでしょう。繰り返しになりますが、インフルエンザであっても検査時期が早すぎるために
検査で、しっかり診断されない可能性があります。また、たとえインフルエンザと診断されても
急患センターでは、原則当日のお薬しか処方されず、翌日かかりつけ医を受診し、残りの必要な
お薬をもらうように指示されます。
 また実際にはインフルエンザでなかった場合などは、急患センターなどを受診することにより
そこに来ているほかの患者さんから、本当にインフルエンザをうつされてしまう可能性があります。

Q インフルエンザの治療は、いつまでに開始すれば効果があるの?

 発熱してから48時間以内に治療を開始されると治療効果があります。ですから、いくら慌てなくても
いいと言っても、3日も経過してからだとインフルエンザ治療薬の投与が出来なくなってしまいます。
 インフルエンザ治療薬の内服をお子さんにさせるつもりであれば、発熱後48時間までに医療機関を
受診しましょう。

 以上のことを総合すると、インフルエンザの検査治療開始の一番いい期間というのは、
持続する明らかな発熱が12~24時間あった頃がベストと言えるでしょう。
 実際には、これは、インフルエンザだけでなく、他の風邪などの発熱疾患についても同様です。

2008年03月18日

3月のよもやま話

**今月のよもやま話**

3月5日高知新聞、声ひろばへの投稿

 南国市で起こった児童虐待死に関して、学校関係者、教育委員会などへの
批判が高まっている。なぜ疑わしい事実がありながら彼の死を防ぐことが
出来なかったのかという論調は、正に正義正論である。ことが起こった後で、
正義正論を持って、その当事者を責めるのは比較的簡単なことである。
 自分がその当事者であった場合、暴力的な他人の家庭に介入し、
しかるべき処置を取ることは、かなり困難であろうと想像する。
だからと言って放置していいという問題でもないが、少なくとも、
正論を振りかざしその周りの人間を責めることよりは、非常に難しいこと
であることは確かである。本当にそれをしていいのは、当事者であった場合、
するべきことを自分がどんな目にあっても出来る人間のみなのではないか?
 また、大篠小学校の校長が民間起用であったことを問題視する意見も
散見されるが、校長が彼でなかったら、また他の学校であれば、この事件は
起きなかったのか?私は彼の人となりを新聞報道による民間起用の校長
という以外存じ上げないが、それは校長が民間起用であることを問題視
している人たちも同じではないだろうか?それは問題の本質ではない。
児童虐待については、近年近隣住民も含めた通報義務など、法的整備も
進んではいるものの、実際には家庭の中の問題に他人が入っていくことには、
想像以上に難しい問題があるということを認識すべきであろう。

以上が投稿の全文です。
 大篠小学校児童の虐待死は、本当に残念で悲しい事件でした。
このような事件が起こるたびに、”なぜ?”という気持ちで一杯になります。
 しかし、なぜ?という気持ちを、”なぜ防げなかった?”という憤りや怒りにして
その回りの関係者に向けることは、違うと私は思います。
 当然、なぜ?という気持ちはあります。しかし、それは、その周りの人間への
なぜ出来なかった?という怒りや憤りの気持ちではなく、なぜ出来なかったのか
考える”なぜ?”です。怒りや憤りをその周りの人間にぶつけて、その人たち
の責任を追及するようなことをして何も解決しないのです。
 自分が、その立場だったら何が出来たか、何がどうして出来なかったか?
出来なかったと想像したら、どういうシステムがあれば、出来たか?を考え
なければ、この先同じことの繰り返しです。
 どうして、実の親でも守れなかった命を他人が守れますか?
 そのためには、もっと何が必要ですか?